演歌界の大御所として知られる千昌夫(せんまさお)さん。
1965年に「君が好き」でデビューし、デビュー60年をむかえました。(2026現在)
バブル期には、「歌う不動産王」と呼ばれていたことも。
そんな、千昌夫さんの、想像以上に厳しい幼少期がありました。
どのような、生い立ち、幼少期だったのかまとめてみました。
千昌夫の生い立ち、幼少期は貧乏だった?!
千昌夫さんの本名は阿部健太郎(あべけんたろう)です。
出身地は、岩手県陸前高田市竹駒町です。
1947年4月8日生まれの78歳です。(2026現在)
三人兄弟の次男です。
実家は、明治時代から田畑を所有している、農家でしたが、農地改革により代々の土地を失ったそうです。
田畑はすべて無くなったわけでなく、少しの田畑で家族が食べる分を作る事しかできなかったそうです。
戦後と言うこともあり、田畑がなくなり作物が作れなくなるのは、とても大変だったのではと思います。
野菜やお米を売って、生活するまでの余裕はなく、生活も貧しかったそうです。
千昌夫の家族構成は?
千昌夫さんは、父、母、三兄弟の5人家族です。
千昌夫さんの父は阿部健樹(あべけんじゅ)さんです。
地元で、左官業として働いてましたが、出稼ぎで長期間不在だったことが多かったそうです。
父親が家を空けることは、子供にとっても寂しいことですよね。
父親が出稼ぎから帰ってくるときは、楽しみだったのではないでしょうか?
そんな父親の阿部健樹さんですが、千昌夫さんが8歳の時に、出稼ぎ先で狭心症で他界しています。
千昌夫さんの母、阿部みどり(あべみどり)さんです。
当時31歳だったみどりさんは、たった一人で子供たちを育て上げました。
生活の為に、宮城県気仙沼市の工場まで働きに、蒸気機関車で片道1時間、往復2時間かけて仕事に行っていたそうです。
仕事と育児と、弱音を吐くことなく、休む暇もなく働く母親をみて、子供ながらにどんな風に思っていたんでしょうね。
そんな母親のみどりさんですが、2020年8月に99歳で亡くなっています。
幼いころ千昌夫さんは、母親に「幸せにするからな」と言っていたそうです。
千昌夫さんは、テレビに出演した時に次のように話しています。
夫が早くに亡くなり貧しいなか、女手ひとつで千ら3人の子どもを育てた母に、親孝行し続けた。
母の最期の言葉は、「幸せな人生だったよ」だったという。
その一方で、千には2年前に初孫が誕生した。ひ孫との対面に生前の母も喜んでいたと明かす。
引用:テレ朝POST
幸せな人生だった。と言えるくらいの、すてきな人生ですよね。
このことからも、みどりさんは生活は苦労してても、子供達と過ごす時間をとても大事にされていただと思いませんか。
兄、弟がいますが、一般人のため、具体的な詳細は公表されていません。
千昌夫は歌手をめざし弟子入り?
千昌夫さんは、高校を中退し、歌手を目指して上京しました。
当時、雑誌に作曲家の遠藤実(えんどうみのる)さんに、弟子入りするために、アポイントなしで押しかけたそうです。
住所が雑誌に載っており、今では考えられないですが、アポイントなしで行くと言う、行動力はさすがです。
同じような弟子いりの人も多く、その時の事を次のように言っています。
「自分と似たような考えを持った人がね、そんなにたくさんいるとは思わなかったんです」と千。「(遠藤家には)その当時、そういう歌手になりたいと言って訪ねてくる人の専門に断ってたお手伝いさんがいらっしゃって。(断わるのが)上手なんですよ」と明かした。
引用:スポニチアネックス
作曲家の先生も大変ですよね。
お手伝いさんも断るのも、大変だったでしょうね。
そんな状況で、3日間訪問を続けたというのですから、決意が違いますね。
3日間通い続け、お手伝いさんに覚えられたそうです。
お手伝いさんを呼びに来た、奥さんに次のように話します。
お手伝いさんが岩手から3日間通ってくる子がいること説明すると、「“じゃあ、明日の3時半ぐらいにいらっしゃい”って言っときなさい」と言われたといい、千は「それが公の約束になって。弟子になってから、先生から聞いたんだけど、ママは怒ったらしいんですよ。“お前余計なこと言うんじゃないよ”って。そうして、遠藤先生の内弟子になれたんです」
引用:スポニチアネックス
ご縁があったのでしょうね。
3日間通わなければ、内弟子になることもなかったのですね。
千昌夫の生い立ち、幼少期 まとめ
・千昌夫さんは、5人家族の次男として生まれる
・8歳の時に、父親が出稼ぎ先で他界
・母親1人で、3人の子共を育てる
・高校中退後、作曲家遠藤実さんの内弟子になる

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